ほんのり明るい

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パン屋こそ日本的である

道徳教科書の検定で、「郷土愛が不足」との指摘を受け、パン屋を和菓子屋に変更したことで合格となった出版社があるそうです。

道徳教科書の検定問題、文科省がネット上の批判に反論 「パン屋が和菓子屋に変更になったのは出版社の判断」 | キャリコネニュース

この記事を読むと、文部科学省にも言い分はあるようですが、それでも、検定する側が「パン屋より和菓子屋の方が”日本的”」だと判断したことは間違いないでしょう。
なんだかモヤモヤする…と、数日考えていたのですが、文科省(政府)の方針ばかりでなくて、どうも私は「パン屋は”日本的”である」と感じているのだと気付きました。

昭和の小学生だった私は、江戸から明治になり「日本」という近代国家ができた後、すぐに欧米列強に対抗できる力を付けたのは、いち早く新しいものを取り入れ、学び、変化していったおかげだと習ったように記憶しています。
また、第二次世界大戦後の悲惨な状況からみるみるうちに抜けだし高度成長期を迎えることができたのも、そうした進取の気性のおかげだったと、戦中世代から聞かされていました。
そもそも、「日本」という近代国家ができる前、古事記の時代でさえ、この島国は大陸の新しい技術をどんどん取り入れて、自分たちに合ったかたちに作り替えて発展してきたのです。そういう「新しもの好き」で「変化への対応が早い」ご先祖様たちがいたから、今の私たちの暮らしがあるのだと思うのです。

パンが日本に入ってきてから、日本の職人さんたちは工夫して「あんぱん」に代表される日本独自のパンを作り上げました。また、例えばフランスパンでも、日本の気候風土の中で作られれば、フランス本国のものとは微妙に違ってくるでしょう。
「新しいものを取り入れて」「自分たちに合ったものを作ってきた」という過程は、実に”日本的”ではないですか。しかも、いまや日本のどんな小さな町へ行っても、パンは手に入ります。日本で営業しているパン屋さんは、郷土に根付いたパン屋さんです。
もちろん和菓子屋さんも大切ですが、パン屋さんも日本の大切な文化を担っていると思います。郷土愛がないと言われてしまうなんて、パン屋さんが気の毒でなりません。